久し振りにラジオを聞いていると、偶然にもカントリーロードの曲が流れてきました。
耳をすませばカントリーロード。。学生時代にフォークをやっていたのですが、苦労して楽譜を手に入れたものの歌詞は英語(汗)。。
急遽、英語が堪能な先生に泣きついて、当然ですが無料で日本語に翻訳してもらった思い出があります。カントリーロードのレコードも買って何度も何度も試聴して、楽譜とにらめっこでギターコードも自分たちで書き加えたものでした。
たしかジョン・デンバーのカントリーロードレコードだったと思います。ラジオのスイッチを切った後も、本当に耳をすませばカントリーロードの曲が流れてくるような気がして目頭が熱くなりました。
いまとなれば帰っては来ない若き日のいい思い出です。
昔に戻ってみたい
カントリーロードの曲を久し振りに聴いて感じることは、やはり帰れるものなら帰りたいですね。。
戻れるものなら戻ってみたいです。
やり直しが出来るものならやり直したいです。
懐かしさに溢れるこのカントリーロードの曲を今は、毎日のように聴いています。
何か大切なものを忘れてきたような気がしてならないのです。
知らず知らずに人を傷つけてきたような気がしてならないのです。
過去に忘れさってきた大切なもの。。戻れるものなら取りに戻りたいです。
無理な事、叶わぬ事は理屈では充分にわかっています。
でも、戻らなければ・・・・カントリーロード
戻れるものなら戻ってみたいです。
やり直しが出来るものならやり直したいです。
懐かしさに溢れるこのカントリーロードの曲を今は、毎日のように聴いています。
何か大切なものを忘れてきたような気がしてならないのです。
知らず知らずに人を傷つけてきたような気がしてならないのです。
過去に忘れさってきた大切なもの。。戻れるものなら取りに戻りたいです。
無理な事、叶わぬ事は理屈では充分にわかっています。
でも、戻らなければ・・・・カントリーロード
カントリーロード歌詞
カントリー・ロードの歌詞の中で大好きな詩の部分なのですが、自分なりに詩の内容を心で感じてみました。
ひとりぼっちを 恐れないで
強く生きようと 夢見てた
じっとさみしさを こらえて
強い自分を 守っていこう
歩き疲れてふと たたずむと
浮かんで来るよ 故郷の情景
弱気になっている そんな僕を 叱ってる
この道が 故郷へ続いても
僕は 行かないよ 行けないよ
帰りたいけれど 帰れない
さよなら カントリー・ロード
このような感じです・・やはりこのカントリーロードの曲を聴くと感無量になりますね。世界中どこの国の人もそうですが、歌によりその当時に戻れるのが切なすぎですね。私が、感受性が強いのかもしれません(笑)。
ひとりぼっちを 恐れないで
強く生きようと 夢見てた
じっとさみしさを こらえて
強い自分を 守っていこう
歩き疲れてふと たたずむと
浮かんで来るよ 故郷の情景
弱気になっている そんな僕を 叱ってる
この道が 故郷へ続いても
僕は 行かないよ 行けないよ
帰りたいけれど 帰れない
さよなら カントリー・ロード
このような感じです・・やはりこのカントリーロードの曲を聴くと感無量になりますね。世界中どこの国の人もそうですが、歌によりその当時に戻れるのが切なすぎですね。私が、感受性が強いのかもしれません(笑)。
耳をすませばカントリーロード
(1995年、監督 近藤喜文、脚本・絵コンテ 宮崎駿、制作 スタジオジブリ)
現代の日本を描くということから引用
「耳をすませば」は、宮崎駿がほぼ初めて「現代の日本」を舞台として作り上げた作品です。(これ以前には、ルパン三世TVシリーズ中の「さらば愛しきルパンよ」という作品があります。
この作品では、新宿の街中を戦車が走りロボットが飛び回る光景が描かれている。)そもそも、宮崎作品をはじめ日本のアニメーションは、日本以外の国、特に欧米をイメージした場所を舞台とする場合が多かったように思います。
思うに、日本映画が力を失った理由と日本製アニメが日本以外にその舞台を求めてきた理由とは、ほとんど同じものなのではないでしょうか。それは簡単に言えば、日本人が日本を嫌いであるため、である気がします。
日本人は自分達の容姿や日本の風景に自信が無いのでしょうね。日本人のクリエイター達はこの日本という国をどのように描けば良いのか分からず、また日本人の観客達も日本の姿など見たくはないと感じているのではないでしょうか。
しかし「耳をすませば」では、これまでの宮崎アニメには登場しなかった現代日本の風景が非常に細かく描写されています。駅前のコンビニ、踏み切り、ラーメン屋、図書館、中学校、公団住宅、電柱や送電線、などなどですね。
しかし、このカントリーロードの曲を選曲したのも作品に不思議とカントリーロードが溶け込んでいるのがすごいと思います。
現代の日本を描くということから引用
「耳をすませば」は、宮崎駿がほぼ初めて「現代の日本」を舞台として作り上げた作品です。(これ以前には、ルパン三世TVシリーズ中の「さらば愛しきルパンよ」という作品があります。
この作品では、新宿の街中を戦車が走りロボットが飛び回る光景が描かれている。)そもそも、宮崎作品をはじめ日本のアニメーションは、日本以外の国、特に欧米をイメージした場所を舞台とする場合が多かったように思います。
思うに、日本映画が力を失った理由と日本製アニメが日本以外にその舞台を求めてきた理由とは、ほとんど同じものなのではないでしょうか。それは簡単に言えば、日本人が日本を嫌いであるため、である気がします。
日本人は自分達の容姿や日本の風景に自信が無いのでしょうね。日本人のクリエイター達はこの日本という国をどのように描けば良いのか分からず、また日本人の観客達も日本の姿など見たくはないと感じているのではないでしょうか。
しかし「耳をすませば」では、これまでの宮崎アニメには登場しなかった現代日本の風景が非常に細かく描写されています。駅前のコンビニ、踏み切り、ラーメン屋、図書館、中学校、公団住宅、電柱や送電線、などなどですね。
しかし、このカントリーロードの曲を選曲したのも作品に不思議とカントリーロードが溶け込んでいるのがすごいと思います。
そうして「耳をすませば」
そうして「耳をすませば」である。この作品では、「おもひでぽろぽろ」の主人公が離れていった風景、「ぽんぽこ」の狸たちが戦いに敗れた風景の中で生きている中学生の姿が描かれています。ここでは、日本の郊外のディテール、宮崎駿が嫌悪してきた風景がむしろ積極的に描写されているのです。
「耳をすませば」の冒頭では、ここではオリビアニュートンジョンの歌う「カントリーロード」が流れて、東京郊外の風景が映し出される。原曲「カントリーロード」はふるさとへの郷愁を歌ったもので、この曲がこの風景にかぶさるときに、この風景が以前は「ぽんぽこ」に描かれたような豊かな自然であったことが思い起こされるでしょう。
しかし「耳をすませば」は「カントリーロード」原曲が歌ったように単純にふるさと=豊かな自然に対する郷愁を描いた作品ではないところもあります。劇中、主人公によって「カントリーロード」には訳詞がつくられるのですが、その訳詞には以下のような部分があります。
「カントリーロード この道 故郷へ続いても 僕は行かないさ 行けない カントリーロード」
故郷に続くカントリーロードとはこの場合、「過去の風景への郷愁」のことだと考えられますね。この歌詞は過去の風景への郷愁を感じながらもあくまでも自分が今いる場所、つまり現在を生きていくことを歌っているのでしょう。
おそらく製作者にとってのこの訳詞の意味は、「ぽんぽこ」の結末部が持つ意味と同一のもので、「この街で生きていくんだ、この街で物語を紡いでいくんだ」という決意の表明なのではないのでしょうか。
「耳をすませば」の冒頭では、ここではオリビアニュートンジョンの歌う「カントリーロード」が流れて、東京郊外の風景が映し出される。原曲「カントリーロード」はふるさとへの郷愁を歌ったもので、この曲がこの風景にかぶさるときに、この風景が以前は「ぽんぽこ」に描かれたような豊かな自然であったことが思い起こされるでしょう。
しかし「耳をすませば」は「カントリーロード」原曲が歌ったように単純にふるさと=豊かな自然に対する郷愁を描いた作品ではないところもあります。劇中、主人公によって「カントリーロード」には訳詞がつくられるのですが、その訳詞には以下のような部分があります。
「カントリーロード この道 故郷へ続いても 僕は行かないさ 行けない カントリーロード」
故郷に続くカントリーロードとはこの場合、「過去の風景への郷愁」のことだと考えられますね。この歌詞は過去の風景への郷愁を感じながらもあくまでも自分が今いる場所、つまり現在を生きていくことを歌っているのでしょう。
おそらく製作者にとってのこの訳詞の意味は、「ぽんぽこ」の結末部が持つ意味と同一のもので、「この街で生きていくんだ、この街で物語を紡いでいくんだ」という決意の表明なのではないのでしょうか。
「紅の豚」追記
〜「紅の豚」に関する追記〜
「紅の豚」は、上述した「おもひでぽろぽろ」と「ぽんぽこ」との間の期間に宮崎駿が監督した作品です。この作品の、「呪いによって豚になった主人公」という設定について少し考えてみましょう。
自分の考えでは、主人公にかけられた呪いとは宮崎駿の現代日本に対するコンプレックスの表れで、宮崎駿はこの作品を自分の趣味として製作したという趣旨のことを述べていました。
つまり宮崎駿は自分にとっての最適刺激を作ろうとしたのでしょうね。その舞台として彼が選んだのは1920年代のイタリアで、ここを舞台に宮崎駿は自分自身を色濃く反映した主人公に「かっこいいとはこういうことさ」と言わせようとしたのではないでしょうか。
しかし本当の自分自身は日本の中年おやじである。現代の日本人である自分が「かっこよさ」を描こうとして数十年前の外国を舞台としなければならないことに対する葛藤、それこそが豚にかけられた呪いの正体ではないかと思うのです。
「紅の豚」は、上述した「おもひでぽろぽろ」と「ぽんぽこ」との間の期間に宮崎駿が監督した作品です。この作品の、「呪いによって豚になった主人公」という設定について少し考えてみましょう。
自分の考えでは、主人公にかけられた呪いとは宮崎駿の現代日本に対するコンプレックスの表れで、宮崎駿はこの作品を自分の趣味として製作したという趣旨のことを述べていました。
つまり宮崎駿は自分にとっての最適刺激を作ろうとしたのでしょうね。その舞台として彼が選んだのは1920年代のイタリアで、ここを舞台に宮崎駿は自分自身を色濃く反映した主人公に「かっこいいとはこういうことさ」と言わせようとしたのではないでしょうか。
しかし本当の自分自身は日本の中年おやじである。現代の日本人である自分が「かっこよさ」を描こうとして数十年前の外国を舞台としなければならないことに対する葛藤、それこそが豚にかけられた呪いの正体ではないかと思うのです。
| 「紅の豚」の追記
故郷への道
「カントリーロード」の故郷への道
(耳をすませばサウンドトラックより)
「Take Me Home,Country Roads」は1971年にJ・デンバー自身の歌でリリースされたカントリーナンバーです。この曲の中で歌われる故郷とは、West Virginiaであり、Shenandoah Riverのほとり、Mountainmommaの麓です。
この地はまさにカントリーミュージックの故郷であるアパラチア山脈の西の麓にあたります。かつてこの地にたどり着いたヨーロッパ人、とくにアイルランドやスコットランドからの移民たちは当初、彼らの故国そのままの音楽をこの地に持ってきたのでしょう。
今でもアイルランドに残るフォークミュージックとアメリカのカントリーミュージックには似通ったところがとても多いのです。
アイリッシュフォークミュージックでは、フィドル(ヴァイオリン)、ハープ、ティンホイッスルなどの楽器を使いますが、アメリカに渡った人々もまずはフィドルを使い、今日に至っています。
フィドルによる音楽は、ノルウェーやフランスの地方などにも残っていてそれらは同じ様な特徴を持っており、ヨーロッパの古い民族であるケルト人達の音楽の特徴を今に伝えています。
中世ヨーロッパでは北方ケルト系の伝統、地中海地方の音楽、インドやアラビアなどの東方の音楽といったものをミックスしながら発展しました。
(耳をすませばサウンドトラックより)
「Take Me Home,Country Roads」は1971年にJ・デンバー自身の歌でリリースされたカントリーナンバーです。この曲の中で歌われる故郷とは、West Virginiaであり、Shenandoah Riverのほとり、Mountainmommaの麓です。
この地はまさにカントリーミュージックの故郷であるアパラチア山脈の西の麓にあたります。かつてこの地にたどり着いたヨーロッパ人、とくにアイルランドやスコットランドからの移民たちは当初、彼らの故国そのままの音楽をこの地に持ってきたのでしょう。
今でもアイルランドに残るフォークミュージックとアメリカのカントリーミュージックには似通ったところがとても多いのです。
アイリッシュフォークミュージックでは、フィドル(ヴァイオリン)、ハープ、ティンホイッスルなどの楽器を使いますが、アメリカに渡った人々もまずはフィドルを使い、今日に至っています。
フィドルによる音楽は、ノルウェーやフランスの地方などにも残っていてそれらは同じ様な特徴を持っており、ヨーロッパの古い民族であるケルト人達の音楽の特徴を今に伝えています。
中世ヨーロッパでは北方ケルト系の伝統、地中海地方の音楽、インドやアラビアなどの東方の音楽といったものをミックスしながら発展しました。
古い楽器(耳をすませばサウンドトラックより)
「耳をすませば」のサウンドトラックの中にいろんな時代の楽器が登場します。プサルテリウム 地球屋の中に響く音です。琴を台形にしたような形をしています。鳥の羽で弦をかき鳴らします。
雫、聖司、おじいさん達のセッション 雫がボーカル、聖司がヴァイオリンを担当し、おじいさんがヴィオラ・ダ・ガンバともいわれるバス・ヴィオールというチェロに似た16〜18世紀ごろの楽器です。
おじいさんの友達は、リュートとリコーダーとコルネットです。いずれも18世紀ごろまでに盛んに使われていた楽器です。
リュートは日本の琵琶と同じ祖先を持つ楽器、コルネットは今日金管楽器として知られているコルネットとはまったく違った楽器で、マウスピースのついた木管楽器です。
雫、聖司、おじいさん達のセッション 雫がボーカル、聖司がヴァイオリンを担当し、おじいさんがヴィオラ・ダ・ガンバともいわれるバス・ヴィオールというチェロに似た16〜18世紀ごろの楽器です。
おじいさんの友達は、リュートとリコーダーとコルネットです。いずれも18世紀ごろまでに盛んに使われていた楽器です。
リュートは日本の琵琶と同じ祖先を持つ楽器、コルネットは今日金管楽器として知られているコルネットとはまったく違った楽器で、マウスピースのついた木管楽器です。
カントリーというと
カントリーというとアメリカの開拓時代っていうイメージもありますね。「大草原の小さな家」で、ローラのお父さんは暖炉の前でバイオリンを弾き、ローラ達が歌うという家族団らんのまさにカントリーロードの温かいイメージです。
カントリーとは、田舎っていう意味がありますよね。「Take Me Home,Country Roads」を聞いてみると、田舎の自然に囲まれたのんびりとした雰囲気を感じられます。
最近ではみな忙しく自分も含めて家族でのんびりと自然の中に溶け込むことが無くなって来てるのではないでしょうか。私も久々にカントリーロードの曲を聴いて思うことがありました。
いまいちど、家族のあり方や自然の大切さに目を向けて欲しいと心から願います。
カントリーとは、田舎っていう意味がありますよね。「Take Me Home,Country Roads」を聞いてみると、田舎の自然に囲まれたのんびりとした雰囲気を感じられます。
最近ではみな忙しく自分も含めて家族でのんびりと自然の中に溶け込むことが無くなって来てるのではないでしょうか。私も久々にカントリーロードの曲を聴いて思うことがありました。
いまいちど、家族のあり方や自然の大切さに目を向けて欲しいと心から願います。
ジョン・デンバー
1943年12月31日ニュー・メキシコ州ロズウェル生まれ。本名ヘンリー・ジョン・デュッチェンドルフJr.。幼少の頃は父親の仕事の関係で各地を転々(一時は日本にも住んでいた)とする生活を送っていた彼は、'56年祖母からギビソン・ギターをプレゼントされたことにより、音楽への興味が高まリ、エルヴィスやエヴァリー・ブラザースに憧れ歌手を夢見るようになる。
'64年キャピタル・レコードのオーディション用にデモ・レコードを制作したが契約にはいたらなかったが、この時から芸名をジョン・デンバーと名乗るようになる。'65年、難関オーディションを突破し、チャド・ミッチェル・トリオのリード・ボーカルの座につく。
しかしトリオの活動も停滞してきた'69年、ジョンが2年前にピーター・ポール&マリーに提供した曲「悲しみのジェット・プレーン」がシングル・カットされ全米1位を獲得。ジョンのソング・ライターとしての才能が認められソロ活動ヘ向かうことになる。
同年ミッチェル・トリオとPPMのプロデューサーであったミルト・オクンの強い推薦で、RCAとソロ契約、ファースト・アルバム「ライムズ・アンド・リーズンズ」を発表。高い評価は得るもののヒットに恵まれなかったが、'71年シングル「カントリーロード 故郷へ帰りたい」が世界的に大ヒット。
その後も「ロッキー・マウンテン・ハイ」(`73) 「太陽を背に受けて」、「緑の風のアニー」、「バック・ホーム・アゲイン」(`74)、「すばらしきカントリー・ボーイ」、「アイム・ソーリー」「わが友カリプソ号」(`75) 等、大自然、愛、素朴さなどのイメージと共にヒット曲を量産しスーパー・スターの座についた。
アルバムも13枚のゴールド・ディスク、2枚のプラチナ・ディスクを持つ。「警部マクロード」、「オー!ゴッド」「別れの時」等にも役者として出演し評価を得ていた。しかし80年代中頃にはレコード・セールス的に不振になり'87年RCAと契約終了となる。その後自主レーベルを立ち上げ意欲的な活動を続け評価はされるがなかなか実を結ばず公私共に崩れていく。
1997年ツアーを終えてオフを楽しんだ後、数日前に買った小型自家用機を試験運転中モントレー沖の海上に墜落。帰らぬ人となった。
カントリーロードを有り難う。。。
'64年キャピタル・レコードのオーディション用にデモ・レコードを制作したが契約にはいたらなかったが、この時から芸名をジョン・デンバーと名乗るようになる。'65年、難関オーディションを突破し、チャド・ミッチェル・トリオのリード・ボーカルの座につく。
しかしトリオの活動も停滞してきた'69年、ジョンが2年前にピーター・ポール&マリーに提供した曲「悲しみのジェット・プレーン」がシングル・カットされ全米1位を獲得。ジョンのソング・ライターとしての才能が認められソロ活動ヘ向かうことになる。
同年ミッチェル・トリオとPPMのプロデューサーであったミルト・オクンの強い推薦で、RCAとソロ契約、ファースト・アルバム「ライムズ・アンド・リーズンズ」を発表。高い評価は得るもののヒットに恵まれなかったが、'71年シングル「カントリーロード 故郷へ帰りたい」が世界的に大ヒット。
その後も「ロッキー・マウンテン・ハイ」(`73) 「太陽を背に受けて」、「緑の風のアニー」、「バック・ホーム・アゲイン」(`74)、「すばらしきカントリー・ボーイ」、「アイム・ソーリー」「わが友カリプソ号」(`75) 等、大自然、愛、素朴さなどのイメージと共にヒット曲を量産しスーパー・スターの座についた。
アルバムも13枚のゴールド・ディスク、2枚のプラチナ・ディスクを持つ。「警部マクロード」、「オー!ゴッド」「別れの時」等にも役者として出演し評価を得ていた。しかし80年代中頃にはレコード・セールス的に不振になり'87年RCAと契約終了となる。その後自主レーベルを立ち上げ意欲的な活動を続け評価はされるがなかなか実を結ばず公私共に崩れていく。
1997年ツアーを終えてオフを楽しんだ後、数日前に買った小型自家用機を試験運転中モントレー沖の海上に墜落。帰らぬ人となった。
カントリーロードを有り難う。。。